長野オリンピックジャンプ団体で逆転優勝(1998年2月17日)

長野オリンピックジャンプ団体で逆転優勝(1998年2月17日)

原田氏と船木のジャンプの差

 1998年2月17日は長野オリンピックでジャンプラージヒル団体が行われた日です。長野オリンピックのジャンプ競技ではノーマルヒルで船木和喜選手が銀メダル、ラージヒルで船木和喜が金メダル、 原田雅彦選手が銅メダルを獲得しています。

 ラージヒル団体の日本の出場選手は 岡部孝信選手、斉藤浩哉選手、原田雅彦選手、船木和喜選手です。1本目は一番手の岡部選手が115.7点(121.5 m)、2番手の斉藤選手が131.5点(130.0 m)を出しこの時点で日本チームはトップとなります。

 三番手の原田選手の順番が回ってきたところで悪天候となり前方がほとんど見えないほどの雪となります。この雪は助走路にも積もり成績への影響も懸念されましたが競技は続行されました。各国の三番手の選手は飛距離が出ず、特に原田選手は助走速度が上がらず35.6点(79.5 m)となります。この時点で日本チームの順位は2位となりました。続いての四番手は各国の選手が120〜130 mの大ジャンプを出しますが、船木選手は天候の影響で飛距離が伸びず114.3点(118.5 m)となり、日本チームは順位を4位に落とします。

 1本目終了時点でトップまでの差は13.6点、日本チームは十分に巻き返しが可能な点差でした。逆転優勝ができるかどうか注目が集まりましたが2本目が始まる前に悪天候の影響で競技が中断します。2本目が中止となった場合は1本目の順位で確定するため日本チームはメダルを獲得できなくなります。競技はしばらく再開されずテストジャンパーが飛ぶことになりました。25人のテストジャンパーは転倒することなくジャンプを終え競技が続行できることを示しました。これによって2本目の競技が再開します。

 2本目、一番手の岡部選手は143.6点(137.0 m)の今大会の最長不倒距離のジャンプを決めると日本チームはトップに返り咲き金メダル獲得の期待が高まりました。二番手の斉藤選手は124.7点(124.0 m)を出します。

 そして三番手の原田選手の順番がやってきます。悪天候とはいえ1本目に不本意な結果となった原田選手にプレッシャーがかかります。実は原田選手は4年前の1994年リレハンメルオリンピックのラージヒル団で苦い経験をしていました。この団体戦は西方仁也選手、岡部孝信選手、葛西紀明選手、原田雅彦選手で臨みましが2本目の最終ジャンパーの原田選手が105 m以上飛べば金メダル獲得でした。1本目を122 m飛んでいる原田選手にとって105 mは難しい距離ではありませんでした。誰もが金メダル確定と考えて最終の原田選手のジャンプに注目しましたがプレッシャ−がかかったのか97.5 mの失敗ジャンプとなりドイツに金メダルの座を譲り銀メダルとなってしまったのです。原田選手は本番に弱いと言われるようになったのです。

スキージャンプ
スキージャンプ

 この悪夢を吹っ切るように原田選手は思い切って2本目のジャンプに挑みました。岡部選手に匹敵する141.6点(137.0m)の最長不倒距離をジャンプを飛び日本チームの金メダル獲得を前進させました。プレッシャーから解放された原田選手は全身の力が抜け弱々しい声で最終ジャンパーの船木選手に声援を送りました。船木選手は126.0点(125.0 m)を飛び、日本チームは念願の金メダルを獲得したのです。

 なお1本目の原田選手のジャンプについて岡部選手は自分や斉藤選手や船木選手ではあの悪天候では原田選手ほどの距離は出せず日本チームは金メダルを取れなかったと言っています。これは原田選手の踏み切りが助走が低速のノーマルヒルでも距離を伸ばすことができる高く飛び出すタイプに対して他の選手は低く鋭角的に飛び出すタイプだったからです。

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