ボクシングの日(1952年5月19日)

ボクシングの日(1952年5月19日)

ボクシングの日2010年に制定

 5月19日は日本プロボクシング協会が2010年に制定した「ボクシングの日」です。1952年5月19日、白井義男が世界フライ級王者ダド・マリノに勝利し日本初のボクシング世界チャンピオンとなりました。

 マリノはアメリカのハワイのボクシング選手で1951年5月21日に世界フライ級王者として来日し白井とノンタイトルマッチを行い10回戦判定勝ちをしています。同年12月4日、白井がハワイのホノルルに赴きマリノとノンタイトルマッチ10回戦を戦い7回TKOでマリノを倒しています。1952年5月19日、白井とマリノは1勝1敗の状態で後楽園球場で15回戦タイトルマッチを行い白井が判定勝ちし世界チャンピオンの王座を手にしました。マリノは同年11月に白井に15回戦で再挑戦しましたが判定負けしています。白井は1954年までに4度の防衛を果たし約2年間世界王者の座につき敗戦で心が折れていた日本人の希望の光となりました。

 白井がプロボクサーとなったのは戦時中の1943年のことでした。8試合を戦い全勝の成績を納めていましたが第二次世界大戦で招集され特攻隊の整備士となりました。このとき腰を痛めてボクシングができない状況になりましたが、復員後に出会ったのがGHQで働いていたアルビン・ロバー・カーンでした。カーンは生物学者でGHQの天然資源局に所属しており日本人の食糧支援のために日本沿岸の海洋生物の調査を行っていました。カーンが王子拳道会(現:帝拳)を訪れたときに目にとまったのが白井でした。

 カーンは白井の長い腕とボクシングの優れた素質を見抜き、白井に対して生活からトレーニングまで全て金銭的な支援をすることを約束し白井の専属ボクシング・コーチとなりました。カーンは生物学の専門家としてまた体育講師としての経験から白井に栄養学を取り入れた先進的な科学的トレーニングを行いました。腰痛に悩まされていた白井も次第に回復しボクシングの能力を高めていきました。またカーンは白井にガードを中心とした防御の中から相手の隙を見つけて一撃を与える「打たせずに打つ」という戦い方を教え込みました。これは当時の日本の「打たれたら打ち返す」という戦い方とは真逆な戦法で批判もありましたが白井の戦績によって認められるようになりました。

 そして迎えた1952年5月19日、カーンと二人三脚でボクシングのトレーニングを重ねてきた白井はついに日本初のボクシング世界チャンピオンとなったのです。カーンは日本が独立を果たした後も日本に残り白井が引退するまでコーチを続け白井とは家族同様の関係となりました。

白井義男が日本初の世界チャンピオンになる(1952年5月19日)
白井義男が日本初の世界チャンピオンになる(1952年5月19日)
左:白井義男とダド・マリノ 右:白井義男とアルビン・カーン(カーンは左端)

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