記録に残る最古のハレー彗星の接近の記録(紀元前240年5月25日)

記録に残る最古のハレー彗星の接近の記録(紀元前240年5月25日)

「ハレー彗星」の歴史を紹介

 昔は宇宙は神が創造した完全なもので恒久的に変化することはないと考えられていました。そのため彗星や超新星など短期間に大きく変化するような現象は大気圏内での現象と考えられていました。超新星は尾を欠いた彗星であると考えられていたのです。

 デンマークの天文学者ティコ・ブラーエは1572年にカシオペア座に現れた超新星SN 1572を観測し、視差が生じないことからSN 1572は月よりもはるかに遠くに存在することを発見しました。これによって彗星は超新星と別物であることがわかり、彗星も大気現象ではないことが解き明かされました。

 ハレー彗星は75.3年の周期で地球に接近する肉眼で見ることができる唯一の周期彗星です。現在ではハレー彗星の軌道計算により過去に遡っていつハレー彗星が地球に接近する年月日を求めることができます。

 最初にハレー彗星の軌道計算を行ったのはイギリスの天文学者エドモンド・ハレーです。ハレー彗星の軌道計算はハレーの友人で1687年に万有引力を発表したアイザック・ニュートンが試みていましたがニュートンが立てたモデルでは彗星の動きを説明することができませんでした。ハレーは1705年にニュートンのモデルに木星と土星の重力の影響を加えてそれまでに発見されていた24の彗星の軌道計算を行いました。その中で1531年にドイツのペトルス・アピアヌスが観測した彗星と1607年にヨハネス・ケプラーが観測した彗星と1682年に観測された彗星が同じものであることを突き止めました。ハレーはこの彗星が1758年に再び地球から観測できると予想しましたが1742年にこの世を去りました。

 1758年12月25日、ドイツのアマチュア天文学者ヨハン・ゲオルク・パリッチュはハレーの予想通り彗星を発見しました。この彗星は1759年3月13日に近日点を通過しました。これによって惑星以外にも太陽を周回する天体が存在することが初めて確かめられたのです。また彗星の回帰は木星と土星の重力の影響で遅れていたこともわかりました。この遅れを含めた起動計算はフランスの数学者・天文学者のアレクシス・クレロー、ジェローム・ラランド、ニコール=レイヌ・ルポートによって示され、これによってニュートン力学の正しさが実証されました。この3人の数学者の1人ルポートが1759年にこの彗星をハレー彗星と名付けました。

エドモンド・ハレーと1986年に観測されたハレー彗星
エドモンド・ハレーと1986年に観測されたハレー彗星

 ハレー彗星は古来から知られており多くの記録が残されています。最初の記録は古代ローマのガイウス・プリニウス・セクンドゥスの「博物誌」、司馬遷の「史記 表 巻十五 六國年表第三」に彗星が観測された記述があります。これらは紀元前467年に相当しますが軌道計算によるハレー彗星の出現時期と異なるためこの記述にある彗星がハレー彗星とは確定できませんでした。

 司馬遷の「史記 本記 巻六 第6 秦始皇本紀」には「七年、彗星先出東方、見北方、五月見西方。將軍?死。以攻龍、孤、慶都,還兵攻汲。彗星復見西方十六日。夏太后死。」とあります。彗星だけ抜粋すると「七年に彗星が東に見え、その後北に見え、5月には西方に見えた。彗星は再び16日間西方に見えた」となります。秦始皇が即位したのは紀元前247年ですから、七年は紀元前240年を示します。ハレー彗星の軌道積算によると紀元前240年はハレー彗星が地球に最接近した年です。計算された軌道によると記録にある通り最初は東方から西方で観測されますがその後、太陽に接近して見えなくなり、近日点を通過後は再び観測可能となります。こうしたことから、ハレー彗星の出現を記録したもっとも確実な記録は紀元前240年に記されたものとされています。

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