ルーキーの長嶋茂雄選手が30本塁打を逃した幻の一発(1958年9月19日)

ルーキーの長嶋茂雄選手が30本塁打を逃した幻の一発(1958年9月19日)

長嶋氏の「幻の一発」を回想

 4番サード長嶋。ミスタージャイアンツこと長嶋茂雄さんが読売ジャイアンツと入団契約を結んだのは昭和32年(1957年)11月、翌38年(1958年)に新人デビューしました。ルーキーの長嶋選手はオープン戦で7本のホームランを放ちました。公式戦での初ヒットはデビュー2戦目の4月7日、初ホームランは4月10日です。長嶋選手は持ち前の能力を発揮し、8月にはジャイアンツの4番打者となります。

長嶋茂雄選手(週刊ベースボール1959年1月14日号)
長嶋茂雄選手(週刊ベースボール1959年1月14日号)

 そして9月19日に後楽園球場で行われた広島23回戦。この時点で長嶋選手のホームラン数は27本。あと1本ホームランを放てば新人記録となる28号となります。5回裏ツーアウト、1万8千人のファンが声援を送る中、長嶋選手は鵜狩好応(道夫)投手の内角高めを捉えます。打球は、左中間ライナーとなりました。撃った長嶋選手は全力疾走、1塁を回ったところで打球はレフトスタンドに入ったことに気が付き、ゆっくりとダイヤモンドを回ってホームベースに戻ってきました。ファンは大歓声をあげ、そしてジャイアンツベンチの監督・コーチ・選手たちは新人記録達成を祝福しました。

 このとき広島の藤井弘一塁手が鵜狩投手にボールを渡すよう求めました。ボールを手にした藤井選手が一塁ベースを踏むと、竹元塁審は腕を上げて「アウト!」と叫びました。この事態にファンもジャイアンツベンチも長嶋本人も何が起きたのかわかりませんでした。長嶋選手が捉えた球がレフトスタンドに入ったところを誰もが目の前で見たのですから。

 この事態に竹元塁審に抗議する水原茂監督と長嶋選手。竹元塁審は長嶋選手が一塁ベースの9センチ手前を蹴りベースを踏んでいないことを見たこと、藤井一塁手がそのことを申告したためアウトを認めたことを説明しました。長嶋選手は全力疾走していたため1塁ベースを踏んだかどうかは覚えておらず反論することができませんでした。結果として28号となるはずだったホームランはピッチャーゴロとなり、この一打は幻のホームランとなってしまいました。このことがきっかけでこの試合は広島が勝利を収め巨人に4連勝しました。

 長嶋選手は9月20日に28号を放ち新人記録を達成します。その後ホームランを1本撃ち最終的に打率.305、盗塁37、本塁打29本の記録を残しました。もし9月19日の一発がホームランになっていたら、ルーキーとしてはもちろんのことジャイアンツの選手としても打率3割・本塁打30本・30盗塁のトリプルスリーの記録を達成していたのです。この年の長嶋選手の打点は92点で、本塁打と打点で二冠を獲得し新人王に選ばれました。

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