東京駅完成記念日(1914年12月18日)

東京駅完成記念日(1914年12月18日)

東京駅に和風デザイン案存在

 明治5年(1872年)10月14日、新橋駅(現汐留駅)と横浜駅(現桜木町駅)を結ぶ日本初の鉄道が運行を開始しました。その後、東京と関西を結ぶ鉄道の建設が検討されました。この鉄道の建設案には東海道経由と中山道経由の2つの案がありましたが、開発が進んでいない内陸の中山道経由とすることに決まりました。海岸線沿いを走る東海道経由は敵の艦船に狙わやすいという軍部の指摘も中山道経由を後押ししました。ですから最初に計画された関東と関西を結ぶ鉄道は東海道ではなかったのです。

 当時、日本の鉄道事業は国有鉄道で進めることを基本方針としていましたが、明治維新の混乱と西南戦争の影響で財政が困窮し鉄道敷設は進みませんでした。そこで民間企業に鉄道事業を認めることになり明治15年(1881年)に日本鉄道株式会社が設立されました。

 日本鉄道は政府の方針に従い関東と関西を結ぶ中山道経由の鉄道工事に着手し、まず高崎まで結ぶ鉄道の敷設を始めました。この鉄道の起点には土地の確保や工期の関係から上野が選ばれました。明治16年(1883年)7月28日に上野と熊谷を結ぶ鉄道が開通しましたが、この過程で中山道経由の鉄道工事が困難を極めることが判明しました。そこで政府は明治19年(1886年)に関東と関西を結ぶ中山道経由の鉄道を断念し東海道経由に計画を変更しました。この鉄道工事は国営で行うことになり既存の新橋駅と横浜駅を結ぶ路線を太平洋沿岸沿いに関西まで延長することになったのです。

 明治22年(1889年)7月、東海道本線の新橋ー神戸間が開通しました。一方、日本鉄道が建設した中山道の鉄道は北へ向かうことになり同年9月に上野ー青森間の東北本線が開通しました。明治23年(1890年)11月上野-秋葉原間の貨物線、明治31年(1898年)8月常磐線が開通しています。その後、中央本線(甲武鉄道)、総武本線(総武鉄道)、山手線(日本鉄道)が敷設されていきましたが起点となる駅はバラバラで旅客が路線を乗り換えるときには徒歩や人力車で移動するしかなくたいへん不便な状態でした。特に新橋と上野を行き来する乗客は多く馬車鉄道を経て路面電車が敷設されましたが輸送力が十分ではなく事故が多発するなど問題を抱えていました。そのため新橋と上野を結ぶ鉄道建設の機運が高まりました。そこで新橋と上野の中間かつ他の路線との接続も便利になる位置に駅を建設することになりました。

 この頃、東京市ではインフラストラクチャ整備のため市政改革が進められていました。明治17年(1884年)11月に東京市から内務省に提出された意見書の中に「新橋上野両停車場の路線を接続し鍛冶橋内および万世橋の北に停車場を設置すべき」とあり、この意見書をもとに新橋と上野を結ぶ鉄道と鍛冶橋の近くに中央停車場を建設することが決まりました。

 新橋と上野を結ぶ路線は高架鉄道とされ中央停車場には高架ホームを設けることになりました。この市政改革案は明治21年(1888年)6月に当時の日本の立法機関である元老院で審議されましたが、元老院は中央停車場の必要性を理解できず財政的に困難と却下しました。しかしながら、政府が閣議で元老院の決定を覆し1888年8月に東京市区改正条例として公布されました。これによって明治23年(1890年)に新橋と上野を結ぶ高架鉄道と中央停車場の建設が決定しました。この建設は中央停車場より南側の路線は国有鉄道、北側の路線は日本鉄道が担当することになりました。しかしながら、高架鉄道の建設には多大な資金を必要とし民間企業である日本鉄道が賄えるものではありませんでした。結果として、日本鉄道側の建設が始まったのは日本鉄道が国有化された後でした。予算が正立した国有鉄道側の建設は明治31年(1898年)に着任した>ドイツの鉄道技術者で建築技師のフランツ・バルツァーの指導のもとに進められました。

 フランツ・バルツァーは中央停車場の設計にも関わりました。当時、東京に洋風の建築物が次々と建てられていくのを見て、あえて和風のデザインの東京駅を設計しました。しかしながらバルツァーのデザインは受け入れられず、中央停車場の設計を実際に担当した建築家の辰野金吾はバルツァーのアイデアを一部取り入れながら再設計しました。

フランツ・バルツァーと辰野金吾 東京駅のバルツァーの和風デザインと辰野のデザイン
フランツ・バルツァー(左)と辰野金吾(右)
東京駅のバルツァーの和風デザイン(上)と辰野のデザイン(下)

中央停車場の駅舎の建設が始まったのは明治41年(1908年)3月25日です。中央停車場の建設は大がかりなものとなり6年9ヶ月の歳月を経て大正3年(1914年)12月15日に竣工しました。中央停車場の竣工を前に駅名を決めることになりましたが、東京にはたくさんの駅があるため中央停車場を東京駅と名付けるのは問題があるという指摘がありました。諸外国にならって中央駅と名付けるべきという意見も出ましたが、東京駅がわかりやすいということになりましたが正式に公表されたのは竣工日でした。

 東京駅の開業記念式典が執り行われたのは竣工日から3日後の大正3年(1914年) 12月18日でした。その後、来賓を乗せた京浜線の試運転でトラブルが発生し東京駅から横浜駅まで40分のところ2時間半もかかり大混乱となりましたが、開業記念式典から2日後の12月20日に東京駅は正式開業しました。開業当初の東京駅の利用者数は1日当たり約9千5百人でした。現在の利用者数は約82万2千人です。

 なお日本鉄道側の高架の建設は大正4年(1915年)11月に着工され、東京駅に中央線が乗り入れたのは大正8年(1919年)3月1日のことです。

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