東京女子御三家「桜蔭」の東大合格者数が増えた理由

東京女子御三家「桜蔭」の東大合格者数が増えた理由

関東大震災(1923年)の翌年に開校した桜蔭女学校。木造の仮校舎に次いで、1931年に竣工した本館は大林組の設計・施工。爾後90年間、この地で桜蔭生と共にある

日本の女子中高一貫校の中でも、突出した位置にいるのが桜蔭だろう。かつては「桜のカーテン」といわれるほどその内情はメディアには語られず、OGの口から漏れる断片をつなぎ合わせて推測するしかすべはなかった。来る創立100周年に向け、東館建替も始まる。東京大学に日本一進学する女子校に、森上展安・森上教育研究所代表が初めて足を踏み入れた。(ダイヤモンド社教育情報、撮影/平野晋子)

■3分の2を占める理系の生徒

 横浜のフェリス坂(西野坂)と乙女坂、浦和一女のあひる坂など、高台にある名門女子校に坂道はつきものである。関東大震災後、高松・松平家の邸宅を二分して造られた坂は忠弥坂と名付けられたが、今では桜蔭坂とも呼ばれる。この胸突き八丁を上りきると、左手には築90年になるスパニッシュ様式の桜蔭学園本館がある。

――先生は中高の校長と理事長も兼ねていらっしゃる。

齊藤 小さな学校ですので、昔から校長は理事長を兼任しています。

――東京女子高等師範(現・お茶の水女子大学)の同窓会である桜蔭会が本校の設立母体となるわけですね。

齊藤 現在、東京医科歯科大学のあるJR御茶ノ水駅前にお茶の水女子大学の前身である東京女子高等師範学校があり、本校の敷地にはかつて桜蔭会の事務所がありました。

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