ロッテ重光武雄はいかにして“寝首”をかかれたのか――魑魅魍魎が蠢いた舞台裏



「天」とは、武雄の衰えであった。2013年にロッテホテルの自室で倒れて腰骨を折り、大手術の後で車椅子を使う生活になった。時に91歳。体力の衰えは隠しようがなく、武雄の後継の座を狙う者には目の前にご馳走がぶら下げられたようなものだ。ちなみに55年2月生まれの昭夫は当時58歳で、翌々年の武雄追放時は60歳。柿が熟して落ちるのを待つ“熟柿戦略”では、90歳を過ぎても現役の武雄や年子の兄・宏之からの譲位を待っているうちに自身が熟柿になってしまうという焦燥感に我慢しきれなくなったのだろうか。

「地」でも謀反組は有利な立場にあった。武雄は地震が大の苦手なのに11年に東日本大震災が起き、前述した翌々年の転倒事故で訪日は途絶え、かつてのような、一年の半分は日本、半分は韓国という「シャトル経営」は影を潜めた。「日本は宏之、韓国は昭夫」という事業の棲み分けも進んでいたことから、昭夫はソウルで武雄をコントロール下に置くことができた。宏之が新規事業投資で膨大な赤字を発生させたという佃のウソの報告も、それを理由にした宏之の解任を半年も隠し通せたのも、“地の利”の賜物である。

 最後に「人」である。謀反組の人となりについてはこの後で詳しく述べるが、昭夫にとって佃と小林は下剋上に欠かせざる「手下」あるいは「相棒」であったことは間違いない。神様たる武雄の前ではまともな反論もできず、武雄の来日を知った途端、取締役会を放り出して逃げたとはいえ、日本のロッテ社員や幹部の前では、取締役会や会社組織を牛耳り、昭夫の忠臣としての役目を果たす有能な取締役だった。

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