三遊亭円楽さん、キャラは腹黒でも実は「世話焼きバカ」だった【林家木久扇が語る】

三遊亭円楽さん、キャラは腹黒でも実は「世話焼きバカ」だった【林家木久扇が語る】

「笑点」大喜利での三遊亭円楽さん=2018年7月7日 Photo:JIJI

【追悼:三遊亭円楽さん】六代目三遊亭円楽師匠が、9月30日に肺がんのためお亡くなりになりました。72歳でした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
国民的長寿お笑い番組で長年、円楽師匠と座布団を並べてきた林家木久扇師匠(84)は、2022年3月に著書『バカのすすめ』を、上梓しました。バカの素晴らしさとバカの効能を伝える本書には、円楽師匠をはじめメンバーや歴代司会者に関する貴重なエピソードが満載です。
追悼の気持ちを込めて、本書から円楽師匠について書かれた部分を抜粋してご紹介いたします。このときの木久扇師匠の「落語界にとって大事な人なので、身体に気を付けて、まだまだ頑張ってほしい」という祈りは、残念ながら届きませんでした。円楽師匠の知られざる一面や落語への熱い思いに触れ、多くの人々に愛された深い魅力をあらためて感じていただけたらと存じます。合掌。(構成 石原壮一郎)

 ※2022年3月刊『バカのすすめ』(ダイヤモンド社)より抜粋

■三遊亭円楽さんのキャラとイメージ

 1月の席替えで小遊三さんの向かって右側に移動したのが、薄紫色の着物の六代目三遊亭円楽さん。

「腹が黒い」「友だちがいない」「難しいことを言い出すインテリ」というイメージですよね。たしかに、とても頭が切れる人です。行動力も人一倍ある。「友だちがいない」というのは、あくまでネタですけどね。

 円楽さんは自分でもさんざん言っていますけど、青山学院大学の出身です。落語研究会に入っていて、学生時代に先代の5代目圓楽さんにすすめられてカバン持ちになりました。

 ちょうど学生運動が盛んだった時代で、ヘルメットかぶって角材を持ってデモに行ったりしてた時期もあったそうです。

「笑点」の大喜利メンバーになったのは、1977(昭和52)年で、彼はまだ二つ目に昇進したばかりで27歳でした。

 先代の圓楽さんが大喜利メンバーをいったん「卒業」したとき、自分の代わりに入れたんです。当時は歌丸さんと小圓遊さんとぼくが40歳ぐらいで、先代の圓楽さんはもう少し上でしたから、ひときわ若々しかったですね。

■円楽さんの本当にすごいところ

 あの人がすごいのは、お金を使っているところです。

「笑点」の収録は、だいたい11時ぐらいに集まって、2本分を撮って2時半か3時に終わる。お昼時をはさんでますけど、昔からの習慣で弁当が出ないんです。

 局がケチってるわけじゃなくて、収録後に後楽園ホールの近くのお蕎麦屋さんに集まって、みんなでああだこうだ言いながら打ち上げの反省会をやってました。最近はやらなくなっちゃいましたけど。

 まだ打ち上げで蕎麦屋さんにも行っていた頃から、円楽さんは毎回、楽屋にたくさんのパンを買ってきてくれるんです。もちろん自腹で。みんなも当たり前みたいにそれを食べてて、すっかりあてにしてます。

 しかも土用の丑の日には、出演者からスタッフから全員に、うな重の上を配ってくれる。なかなかできることじゃありません。

 これまで番組ではパンのことは言わなかったのに、最近は「誰も感謝しない」なんてネタにしてますね。業を煮やしたとか恩を着せようとしてるとかじゃなくて、たぶんパン屋さんの名前を広めてあげようとしているんだと思います。

■立派な志も人望もある偉大な「世話焼きバカ」

 円楽さんが2007(平成19)年からプロデュースしてる「博多・天神落語まつり」も、画期的というか、すごいイベントですよ。落語協会、落語芸術協会、立川流、円楽一門会の四派合同で、上方落語協会の人たちも呼んで、落語のお祭りをやるんです。

 落語をもっと盛り上げなきゃいけない、盛り上がった状態で次の世代に引き継がなきゃいけないという気持ちがあるんでしょうね。そこは師匠の先代圓楽さんゆずりなのかな。

 落語まつりに、たとえば桂文枝さんや笑福亭鶴瓶さんに来てもらうとしますよね。円楽さんは、切符の手配からホテル割り振りまで、全部自分でやっちゃう。

 そんなの誰かに任せればいいことなんですけど、誰と誰は同じホテルにしたほうがいいとか別のほうがいいとか、トランプを並べるみたいな感じで面白がってやってるんです。

 いろんなところで、自分が世話を焼かないと気が済まない。なかなかできることじゃありません。

 腹は黒いかもしれないけど、立派な志も人望もある偉大な「世話焼きバカ」なんです。落語界にとって大事な人なので、身体に気を付けて、まだまだ頑張ってほしいですね。

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