東芝ブランドを捨ててでも半導体でサムスンに勝つことが重要だ

東芝ブランドを捨ててでも半導体でサムスンに勝つことが重要だ

さいとう・しょうぞう/1973年早稲田大学理工学部卒、東芝入社、2004年メモリ事業部長、2007年セミコンダクター社社長、2012年副社長、2013年退任。66歳

 東芝の元副社長の齋藤昇三氏は、2000年代のNAND型フラッシュメモリー急成長の立役者の1人。2001年に東芝がDRAM撤退を決定したことで、齋藤氏は、自ら育てたDRAM事業を売却し、NAND型フラッシュメモリーへの集中投資を推し進めた。

 齋藤氏には、東芝のフラッシュメモリー事業の拡大のけん引役となった旧サンディスクとの提携の狙い、ウエスタンデジタル(WD)と東芝が対立している現状、さらには、自身が育ててきた東芝メモリを売却する動きについて聞いた。

――東芝は2001年のDRAM撤退の一方で、NANDに投資を集中して成功しました。

 当時、私はDRAM統括部長を務めていて、私自身が育てた事業を自ら売却することになりました。米国のDRAM工場(旧ドミニオンセミコンダクター社)を米マイクロン・テクノロジーに売却して、DRAMの技術者をすべてフラッシュメモリーに振り分けるところから始めました。NANDはまだまだ小さな事業だったけれど、DRAMの二の舞は演じないという強い思い持っていた。それが成功した力ではないかと思います。

――東芝のNAND型フラッシュメモリー事業の成功は、1999年に結んだ米サンディスクとの提携が、大きな役割を果たしたと指摘されています。

 契約当初は、当時の社内で「外資企業が東芝の工場に入ってくるのはいかがなものか」と色々なことを言われたものですが、棟ごとに共同投資する合弁契約を結んで、土地と建物は東芝のもの、そして最も投資資金が必要な製造装置だけを両社で分け合うという提携を上手く結ぶことができて、市場の伸びにうまく合致したと思います。

――巨額投資の負担をライバルと折半するというアイデアは画期的でした。

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