酒と少々のつまみを食事とした日本画の大家・横山大観

酒と少々のつまみを食事とした日本画の大家・横山大観

イラスト/びごーじょうじ

 村上春樹の長編小説『騎士団長殺し』が出版されたのは2017年の2月のこと。この新作で目を引いたのは日本画が重要なモチーフとして用いられていたことだ。

 〈十九世紀後半に明治維新があり、そのときに他の様々な西洋文化と共に、西洋絵画が日本にどっと入ってきたわけですが、それまでは『日本画』というジャンルは事実上存在しませんでした〉〈西欧的な部分と非西欧的な部分の、融合と棲(す)み分けがおおむね円滑に行われ〉そして日本画が〈外圧と内圧の接面(せつめん)として結果的に生まれた〉と村上が主人公に説明させているように、国民国家としての統一化を推し進めたい明治政府の思惑とその成立には深い関係があり、日本画は日本人の文化的アイデンティティーの一つを担った。

 1868(明治元)年に生まれた日本画の大家、横山大観の人生はそんな日本の歩みと重なる。89年、画家を志した大観は、開校間もない東京美術学校に入学。同じ年、大日本帝国憲法が発布される。またこの頃、大観の師匠である岡倉天心らによって日本美術という概念も生まれようとしていた。

 大観は美術学校を卒業後、京都を経て母校の助教授に就く。しかし98年、師である校長の天心が追われ(美術学校事件)、在野に日本美術院を創設するとそれに参加。そこで大観は西洋画の技法を取り入れた新たな画風を探ることで、自らの芸術を確立していく。

 大観が師、天心から学んだのは芸術だけではなかった。

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