バブル期スキービジネスに前のめりで参入した鉄道各社のその後

バブル期スキービジネスに前のめりで参入した鉄道各社のその後

ピークの1991年には、1770万人にも上ったスキー人口はその後激減。鉄道会社のスキーバブルも急速にしぼんでしまった 写真:読売新聞/アフロ

好景気を背景とした消費ブームの象徴の1つがスキーブーム。スキーバスはもちろん、私鉄やJRもこぞってスキー専用列車を仕立てた。JR東日本に至っては駅の裏に開発したスキー場「ガーラ湯沢」で大成功を収めたが、その後ブームは急減速。鉄道会社が踊ったスキービジネスを振り返った。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

■大渋滞と激混みも何のそのスキー場に殺到した日本人

 バブル期の象徴として今も語られるのが、1987(昭和62)年公開の東宝映画「私をスキーに連れてって」が火付け役となった第3次スキーブームだ。ゲレンデでは白いスキーウェアが大流行した。

 当時は好景気を背景とした消費ブームの真っただ中。生活水準向上の次は、ゆとりある生活を目指そうという機運が高まったことに加えて、1985(昭和60)年に東北・上越新幹線が上野に開業し、関越自動車道は練馬から長岡まで全線開通するなど交通網の整備が進んだ。さらに、日米貿易摩擦を解消するために、内需主導型経済への転換が急がれた時代でもある。

「レジャー白書」によれば、スキー人口は1985(昭和60)年の約700万人から1991(平成3)年の約1770万人へ、5年余りで1000万人以上も増加したという。その結果、高速道路は数十キロの大渋滞、スキー場でもリフトやゴンドラは長蛇の列で1時間待ち、さらにレストハウスは座る場所がないほど混み合うという状況となったが、それでも人々は従来の行楽とは異なる「リゾート」体験に夢中になった。

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