アメ横の苦悩、アジアングルメ店が「営業マナー」で地元と軋轢

アメ横の苦悩、アジアングルメ店が「営業マナー」で地元と軋轢

アメ横 店側と地元に軋轢も

アメ横の苦悩、アジアングルメ店が「営業マナー」で地元と軋轢

アメ横にアジアングルメ店が増え、老舗の店主たちは時代の転換点に直面している Photo by Konatsu Himeda

山手線・上野駅から御徒町駅の高架下に広がる「アメヤ横丁」(正式名称は「アメ横商店街連合会」、以下「アメ横」)は、戦後のヤミ市から始まった全国屈指の商店街だ。芋あめを売るアメヤ横丁と米軍の放出品を売るアメリカ横丁、昭和24年に2つの横丁が一緒になり、今の「アメ横」が生まれた。当時は「クルマ以外は何でもそろう」といわれた商店街だった。

 そのアメ横商店街が、今年70周年を迎える。鮮魚や乾物、お菓子を扱う店やバッグや時計を扱う店、さらには化粧品店にスポーツ用品店など“昭和の店”も健在で、実に400店舗が軒を連ねている。

 アメ横が来訪者を魅了するのは、今なおその「風情」が受け継がれているからだろう。店頭に立つお兄さんたちの多くがすでに3代目というが、「1000円、1000円、1000円!」といった“ダミ声の対面販売”は、70年を経てもなお、アメ横の活気の原点であり続けている。そこから見て取れるのは、“アメ横スタイル”への強いこだわりだ。

 そんなアメ横を頻繁にメディアが取り上げる。巻頭カラーで特集する雑誌もあれば、リポーターを送り込むテレビ局もあり、年末には必ずその様子が生中継され、アメ横での数の子やお刺身などおせち料理具材の買い出しは年の瀬の風物詩ともなっている。全国的に“シャッター商店街”が続出する今の日本で、強い個性とにぎわいを維持するアメ横はそれだけで絵になるからだ。

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