富士そば会長が月収500万円を捨て、立ち食いそば屋の人生を選んだ理由

富士そば会長が月収500万円を捨て、立ち食いそば屋の人生を選んだ理由

ダイタンホールディングス 丹道夫会長 Photo by Kazutoshi Sumitomo

「薄給で人をこき使おうと思うなんて無理なこと」と言い切る、名代富士そばの創業者である丹道夫会長。その独自のマネジメント哲学には、豊富な人生経験も反映されている。生まれて間もなく実の父親を亡くし、愛情のない義父に育てられるなど苦労した経験もある。人を使うことの難しさを実感した丁稚奉公時代、4度の上京など、立ち食いそば一本にたどり着くまでの波乱万丈の人生とは?

■義父から愛情なく育った幼少時代安い給料で丁稚奉公の経験も

 私の生まれは名古屋だが、生まれてすぐに父が亡くなり、母は愛媛の実家に帰って、芸者をしながら育ててくれた。母は私にきちんとした教育を受けさせたいと考え、私が4歳の時に再婚。ところが、その相手がひどかった。

 義父は山林を所有したり、村人たちにお金を貸したりしていたから、比較的裕福だった。しかし、教養がない。金の亡者みたいな人で、人間性に乏しかった。粘りというものがなく短気で、村でも口やかましいのと厳しいので有名な人だった。

 母が再婚して間もなく、弟が生まれると、義父の私への態度も瞬く間に厳しくなる。年を取ってからの子どもだったから弟がかわいくて仕方がなかったのだろう。それで、途端に私が邪魔になってきて、使用人のように扱われるようになった。だから、義父からは、愛情というものを受けた記憶がない。

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