和敬塾はなぜ灘高出身者が多いのか、元IMF副専務理事が語る「自由」な風土
2019年11月13日 06時00分 ダイヤモンドオンライン
「和敬塾」という珍しい男子学生寮がある。1955年、産業用冷凍機の国内シェアトップを走る前川製作所の創業者・前川喜作氏が都内を一望できる目白台の細川邸7000坪の土地を手に入れ、建設した。卒塾生は5000人を超え、現在も大学や出身地、国籍、宗教の異なるさまざまな学生が暮らしている。加藤隆俊氏は1964年大蔵省(現・財務省)に入省し、財務官を経て、IMF(国際通貨基金)副専務理事を務めた。日本経済、世界経済を半世紀にわたり見守り続けてきた加藤氏も和敬塾出身だ。(清談社 村田孔明)
■和敬塾の最大派閥灘高生たち
1960年(昭和35年)、加藤隆俊氏は灘高校を卒業し、東京大学文科一類へ進学した。当初は駒場キャンパス近くの東北沢で下宿するも、下宿のおばあさんが高齢のため1年後には下宿をたたむことになった。そこで灘高校の同級生たちが住んでいた和敬塾へ誘われ、2年生から和敬塾での生活を始める。
「灘高から東京の大学に進学するようになったのは、私の世代ぐらいからです。それまでは上京せず、京都大学や大阪大学に進む人が多かった。とくに1964年に新幹線が開通するまでは、関西と関東の文化はかなり違っていましたから」(加藤氏、以下同)
和敬塾の卒塾生の出身高校別では灘高校が120名を超えトップだ。その大半は東大生であり、学業に専念するために2、3年生から寮を出る学生も多い。