糸井重里さん「ほぼ日の判断基準は平安時代の人でもよろこぶか」

そして、捧げた時間が価値あるものだと認定されると、給料が上がります。

 でも、本当はそれだけでは、うまく整合性が取れませんよね。

 フリーランス時代、ぼくは無償の仕事を請け負ってきました。時間を使うことに対してお金を発生させないのは、まさに「知の蕩尽(とうじん)」です。でも、それがおもしろかったんです。

 価値があるとされることにお金をたくさん払ってもらうと、無償のことをする余裕が出てきます。ぼくは自分の原稿を自分でオートバイに乗って運ぶコピーライターだったんですが、大御所の人たちはぼくのことを、「ダンピング糸井」と揶揄(やゆ)したんです。そういうことをされると困る、と。

 でも、そうやって仕事を増やしていくと、中にはお金をたくさん払ってくれる仕事が混ざってきます。

中竹:結果として、余裕が出てくるんですね。

糸井:そう。すでにそのときから、ぼくはポートフォリオ型の収入だったんです。

 会社を始めてからも、「これはどうなんだろう?」と思うような仕事を山ほどしてきました。厳密にコストの計算をすれば軽く赤字だったりするんです。でも、何のために仕事をするのかと考えたら、売り上げや利益を上げることとは限りません。人がよろこんでくれて、人が集まってくれるのが、ぼくらが仕事をしている意味なんです。

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