広瀬章人八段の修業時代

最初は全国的強豪の青柳敏郎さん。青柳さんに勝つのが目標で、最初は歯が立たなかったです。しばらくして青柳さんはあまり来なくなったので、結局ほとんど勝った記憶がないまま、指す機会がなくなっちゃいました」



振り飛車穴熊を指すようになったのも、この時期だった。まずアマチュアと実戦を積んだことの影響があり、他には奨励会での香落ち戦にも要因があった。左香がないハンディをカバーするため、上手は振り飛車を指さなくてはならない。



「北海道時代は居飛車党でしたが、奨励会では香落ちが必要になってくるので、いつのまにか振り飛車穴熊を指すようになっていました。山内一馬さん(アマ強豪)の影響が強かったですね。自分は、アマチュアの将棋の血が流れているようなところがありまして。それが振り飛車穴熊につながったのかもしれません」



ここで詰将棋について触れる。解く速さには定評があり、解答選手権でも安定した成績を収めている。今も昔も寸暇を惜しんで取り組んでいるようだ。



「中学時代、蒲田将棋クラブへの往復の時間は、ずっと詰将棋を解いていました。長編作より、比較的短い20手以内くらいの問題を多く解いていました」



昨年には第1子が誕生。

関連記事(外部サイト)