正法眼蔵とは何か

「人はそのままで仏であるというなら、なぜ、わたしたちは仏になるために修行をしないといけないのか」──この答えを求めて宋に渡り、正師に出会うことで仏教の真理を悟った道元。『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』は、道元の主著であり、未完の大著です。『正法眼蔵』とは一体どんな書物なのでしょうか。仏教思想家のひろさちやさんに伺いました。




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『正法眼蔵』というタイトルの「正法」は、正しい教えという意味です。釈迦が説いた教え、つまり「仏教」そのものにほかなりません。それが経典となって「蔵」に納められている。つまり「正法蔵」です。では、お経さえ読めば釈迦の教えが分かるでしょうか。そうではありませんね。それを正しく理解するには、読む者に経典を解釈する力、すなわち「智慧(ちえ)」が必要です。



たとえば、仏教は不殺生戒(ふせっしょうかい)において生き物を殺してはいけないと教えています。でも、生き物を殺すとは本当はどういうことなのか。たとえば生き物のなかに植物まで含めれば、わたしたち人間は生きていくことができません。ですから、わたしたちはこの教えを解釈しないといけない。解釈するには「智慧」が必要なわけです。



そして、そのような「智慧」を禅者たちは“眼”と表現しました。曇りのない眼でもって対象を見たとき、わたしたちは対象を正しく捉えることができる。蔵に納められた経典も、そのような「眼」でもって読み取れば、仏の教えを正しく理解できるのです。

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