道元が到達した豁然大悟

「あらゆる自我意識を捨ててしまうこと」を意味する「身心脱落(しんじんだつらく)」という言葉があります。宗の天童山景徳寺(てんどうざんけいとくじ)で修行していた道元は、この言葉で悟りを開いたといいます。道元がどのように悟りに達したのか、仏教思想家のひろさちやさんに伺いました。




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\r\n■道元の悟り\r\n


長年の疑問への答えを急ぐ前に、彼の伝記である『三祖行業記(ぎょうごうき)』や『建撕記(けんぜいき)』に記された大悟(たいご)の場面を紹介したいと思います。ここに、道元思想のキイ・ワードが登場します。



天童山にいた道元は、ある朝、大勢の僧とともに坐禅をしていました。そのとき、一人の雲水(うんすい)が居眠りをしてしまいます。如浄禅師は彼を叱ってこう言いました。



「参禅はすべからく身心脱落なるべし。只管(しかん)に打睡(だすい)して恁麼(いんも)を為(な)すに堪えんや」



参禅することは「身心脱落」のためである。それなのに、おまえはひたすら居眠りばかりしておる。そんなことで参禅の目的が果たせるというのか。そんな意味の叱声(しっせい)です。そして如浄は彼に警策(けいさく)を与えました。



そのとき、道元はパッとひらめきます。自分に向かって言われたのではない言葉、他の雲水を叱るために如浄禅師が発した言葉が触媒になり、豁然(かつぜん)大悟したのです。

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