迷いと悟りは一体である

鎌倉時代に曹洞宗(そうとうしゅう)を開いた・道元が、悟りの後に著した大著『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』。江戸時代に永平寺の宝蔵から出てきた「生死(しょうじ)」の巻を、仏教思想家のひろさちやさんが読み解きます。




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道元は、二つの引用でもってこの巻を書き始めます。


生死(しょうじ)の中に仏あれば生死なし。又云いわく、生死の中に仏なければ生死にまどは(わ)ず。


前者は宋時代の禅師・夾山(かっさん)、後者も同時代の定山(じょうざん)の言葉だと言いますが、実際に調べてみると、二人の禅師の言葉は道元が紹介したものとは大きく違っていました。でも、それはあまり重要なことではありません。ともかく道元はこれら二つの言葉をつくりだして、生死の問題を追究するのです。



では、道元はこの二つの言葉で何を言いたかったのでしょうか。



まず前者ですが、ここで「生死」というのは迷いです。「仏」は悟り。わたしたちは迷い(生死)の世界で生活しているのです。しかし、わたしたちがその本質をしっかりと悟ってしまえば、迷いはなくなります。それが、「生死の中に仏あれば生死なし」です。



次に後者です。「生死(迷い)の中に仏(悟り)なければ」というのは、迷いの世界にいるわたしたちがその迷いを悟りによって超越しよう、克服しようなどと思わなければ、という意味です。そのとき、わたしたちは迷いに迷うことはありません。

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