人生二度目の落城でお市が自害を選んだ理由

「戦国一の美女は誰?」と聞かれたら、多くの人が真っ先に思い浮かべるのがお市(いち)の方ではないでしょうか。織田信長(おだ・のぶなが)の妹であり、見目麗しき姫として天下にその名を知られ、近江小谷(おうみおだに)城(滋賀県長浜市)の戦国大名・浅井長政(あざい・ながまさ)に嫁ぎました。しかし、彼女が身を挺(てい)して築き上げた織田浅井同盟は、わずか2年で崩壊。愛した夫は兄に殺され、3人の娘とともに兄弟の信包(のぶかね)の下で預かりの身に。そして本能寺の変のあと、織田家の重臣・柴田勝家(しばた・かついえ)に嫁ぐも、勝家の居城・北庄(きたのしょう/北ノ庄)城が落城する際には、夫とともに自害する道を選びました。なぜ彼女は自らの命を絶ったのでしょうか。東京大学史料編纂所教授の本郷和人 (ほんごう・かずと)さんが考察します。




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1583(天正11)年、柴田勝家は羽柴秀吉に居城・北庄城を落とされます。このときお市は、3人の娘を逃がしたあと、勝家とともに自害しました。一度目は生き延び、二度目は死を選んだ。その理由はいくつか考えられます。



1つめはこれ以上政治の道具にされるのが嫌だったという説。もしかするとお市は、浅井家滅亡時にも死のうとしたのかもしれない。しかし3人の娘はまだ幼く、信長も生きていた。死ぬことを許されなかったのかもしれませんね。



2つめは勝家の人間的な魅力に惹(ひ)かれたという説。

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