宮沢賢治の「心象のスケッチ」とは

宮沢賢治の最もよき理解者であった2歳下の妹トシは、24歳のときに肺結核でこの世を去りました。献身的に看病をしてきた賢治は、妹の死を目の当たりにして押入の中に頭をつっこみ号泣したといいます。「永訣(えいけつ)の朝」「松の針」「無声慟哭(どうこく)」のトシ臨終三部作が収録されている『春と修羅』は詩集だと思われがちですが、賢治はこれを「心象のスケッチ」と呼びました。日本大学芸術学部教授の山下聖美(やました・きよみ)さんが「心象スケッチ」の意味を考察します。




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トシ臨終三部作は『春と修羅』に収録されています。童話集『注文の多い料理店』刊行と同じ大正十三(1924)年、こちらはひと足先に自費出版で刊行されました。費用は父・政次郎が出したと言われています。



『春と修羅』は多くの人が「詩集」だと認識していますが、賢治自身は、これを詩集とは考えていませんでした。友人の森佐一に宛てた手紙で、賢治は次のように述べています。


前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。
(大正十四〈一九二五〉年二月九日 森佐一あて封書)



賢治はきっぱりと、これは「詩」ではなく「心象のスケッチ」だと述べています。

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