虚栄は人間の存在そのもの

日本を代表する哲学者・三木清(みき・きよし)は、『人生論ノート』の「虚栄について」と題された章で、人間である限り虚栄から逃れることはできないと語っています。三木は虚栄というものをどう捉えていたのでしょうか。哲学者の岸見一郎(きしみ・いちろう)さんが解説します。




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虚栄は人間的自然における最も普遍的な且(か)つ最も固有な性質である。虚栄は人間の存在そのものである。人間は虚栄によって生きている。虚栄はあらゆる人間的なもののうち最も人間的なものである。



三木は虚栄心を、「自分があるよりも以上のものであることを示そうとする人間的なパッション」と記しています。自分を実際よりもよく見せようということであればネガティブな意味ですが、自分をより高めようと努力することであればポジティブな意味になります。三木は虚栄心の両面を見ようとしています。



続けて三木は、このような、人間である限り逃れることができない虚栄によって生きる人間の生活は「実体のないもの」「フィクショナルなもの」であると言っています。



しかし、フィクションだからといって、実在性がないわけではありません。人生は「フィクション」であり、三木はこのフィクションに小説という訳語を当てています。人生がフィクションであれば、誰もが自分の人生を生きることで一つだけは小説を書くことができます。誰もが人生の作者であり、主人公であり、主演俳優であり、演出家です。

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