言葉の結晶としての恋

古代より、恋する心は短歌に詠み継がれてきました。「未来」選者の黒瀬珂瀾(くろせ・からん)さんが、研ぎ澄まされた表現力が魅力の一首を紹介します。




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恋を詠んだ和歌や短歌のことを相聞歌(そうもんか)、と呼ぶことがあります。思えば、上代から現代まで、数限りない相聞歌が詠み続けられてきました。特に王朝和歌などは、そのメインは相聞歌という印象を抱く人も多いでしょう。例えば藤原定家が選んだとされる『百人一首』も、恋の歌が四割を占めます。どうしてそんなに「恋」が歌詠みの心を捉えるのでしょうか。



歌人の馬場あき子さんは『百人一首』の恋の歌について〈恋が成就した歌は一首もない〉とした上で、〈「恋」という題の場をかりて、表現への自負のほかに、主題としては求めて得られぬものへの思いや、失意や、怨みなど、むしろ人生的な詠嘆の重なるものでさえあった〉と仰っています(『馬場あき子の「百人一首」』NHK出版)。つまり、昔の歌人たちにとって「恋」とは、何かを希求する心の象徴だったのかもしれません。だとしたら、恋の歌がたくさん生まれるのももっともです。



古来、詩人は、求め得ぬものへの憧れを秘めてきました。それは好きな人の愛情だけではありません。例えば、永遠の安らぎ、平凡な日常からの脱却、究極の詩の言葉……。それらを求める心もまた、「恋の歌」として昇華されてきたのです。

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