兵法家・曹操の用兵術

『三国志』の中でも屈指の大規模戦、官渡の戦い。兵力で圧倒的優位を誇る袁紹の有利が揺るがない状況で、その前哨戦である白馬の戦いを、曹操はどのように戦ったのでしょうか。早稲田大学 文学学術院 教授の渡邉義浩(わたなべ・よしひろ)さんが解説します。




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兵力差がある戦闘において、『孫子』では運動戦を常道とします。運動戦とは、陽動などを用いて常に戦局を動かしながら、局地的に兵力差の解消される局面を作り出す作戦です。官渡の戦いの前哨戦となった白馬の戦いは、まさに運動戦の典型といえる戦闘でした。



曹操はこの白馬の戦いで見事な勝利を収めます。陳寿はその過程を『三国志』武帝紀などに詳細に記していますので、具体的に戦局を追ってみましょう。



袁紹は、拠点であるギョウ(※1)から大軍を率いて南下してきました。一方、曹操軍は許から北上し、黄河へと向かいます。黄河は日本の川と違って、簡単に渡れる川ではありませんので、どのタイミングで渡河するかが、非常に重要なポイントとなります。袁紹軍は、まず猛将・顔良(がんりょう/?〜220)が黄河を渡り、白馬を包囲してきました。白馬では曹操軍の劉延(生没年不詳)が守備の任についています。



※1:ギョウは「業」におおざとの字。



曹操は白馬の救援に向かおうとしますが、これを留めたのが荀攸です。荀攸は、まず延津(えんしん)まで進み、そこから黄河を渡って袁紹軍本陣の背後を突く姿勢を見せれば、敵はそれを阻止するため、渡河前の軍勢を西に向ける。

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