「三顧の礼」正史と演義の違い

フィクション『三国志演義』のハイライトのひとつに、劉備が徐庶の助言に従い、諸葛亮の草廬を三度訪れて自陣営への加入を請う「三顧の礼」があります。『演義』で徐庶はこの提言とともに劉備のもとを去り劉備みずから諸葛亮を訪ねますが、正史『三国志』では徐庶は劉備の陣営に留まっています。この違いによって、「三顧の礼」は大きくその意味が変わってきます。早稲田大学 文学学術院 教授の渡邉義浩(わたなべ・よしひろ)さんが解説します。




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『三国志演義』での「三顧の礼」は劉備の賢人を求める切実な心に基づく、麗しい美談としての趣がありました。しかし、正史が描く「三顧の礼」は次のようなものです。


このとき先主(劉備)は新野に駐屯していた。徐庶が先主にお目通りをすると、先主はこれを高く評価した。(徐庶は)先主に、「諸葛孔明という者は臥龍です。将軍は彼に会うことを願われますか」と言った。先主は、「君が一緒につれてきてくれ」と答えた。徐庶は、「この人は(こちらから)行けば会えますが、連れてくることはできません。将軍が礼を尽くして自ら訪れるのがよろしいでしょう」と言った。これにより先主は諸葛亮を訪れ、およそ三たび行って、ようやく会えた。
(『三国志』諸葛亮伝)



劉備は諸葛亮の存在を知ると、徐庶に彼を連れてくるよう希望します。しかし、徐庶は劉備自身が諸葛亮を訪ねるよう促すのです。

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