「方便」を使って教えを説く維摩

在家者として深く仏道を極め、悟りをも得ていた維摩。大乗仏教の教典『維摩経』に、その維摩が登場するのは第二章からです。出家者ではないものの、人の気持ちを理解し、その人柄はまるで海のように大らかで、欲望に溺れることなく、出家者同様に戒律を守りながら暮らしていたなどというように、維摩の美徳がまず冒頭で次々と紹介されます。中でも維摩の一番の特性として強調されているのが「さまざまな手だてをもって、人々を導く能力に長(た)けていた」という点です。如来寺住職・相愛大学教授の釈徹宗(しゃく・てっしゅう)さんに、維摩の教えの説き方についてお話を伺いました。




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維摩のプロフィールが紹介された後は「現在、維摩は病いに罹(かか)って療養中で、維摩のもとには国王や大臣から一般の見舞い客まで数千人の人が訪れている」という話が続きます。維摩は見舞いに訪れた人々に向かってこう語ったそうです。



「みなさん、この私を見てどう感じますか。この身体は無常で、無力で、確かなものではありません。刻々と衰えていき、頼りにはなりません。しかし、仏教の教えによって智慧を得た者は、このような身体を頼りにすることはありません。



私たちは“自分というもの”を頼りにしてしまうと、貪(むさぼ)りの心や迷いを生み出してしまいます。そもそも私たちの身体は四つの元素(地・水・火・風)の集合体として成り立っていて、さまざまな因縁によって、たまたま成立しているだけなのです。

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