文壇におけるオースティンの評価





オースティン好きの代表は、同国人ではウォルター・スコット、日本では夏目漱石などが挙げられます。



たとえば、19世紀の女性作家シャーロット・ブロンテは、自国の先輩作家についてどう言っているでしょうか。ブロンテは『高慢と偏見』を、「ありふれた顔を正確に銀板写真でとった肖像画。注意深く柵をめぐらし、きちんとした花壇に花々が植えらえた、手入れの行き届いた庭」と評し、「ミス・オースティンは〈情緒〉も詩もなく、分別があって現実的なのかもしれませんが、偉大ではありません」と述べています。オースティンの世界が「制限された」整然とした世界で、そこには自然の詩的世界がないとして批判したのです。



アメリカの男性作家マーク・トウェインは、より厳しい発言をしています。「『高慢と偏見』を読むたびに、オースティンの墓を掘り返して、彼女の脛骨(けいこつ)で頭蓋骨を叩いてやりたくなる」。このむき出しの敵意は、相当なものです。女ばかりの狭いオースティンの世界に対して、生理的とも言える拒否感を示しているかのようです(ちなみに、『高慢と偏見』には男性同士のみの会話がひとつもありません。これも「知っていることしか書かない」というオースティンの姿勢の表れでしょう)。イギリスの男性作家ロレンスも、オースティンは「偏狭な俗物で悪い意味で英国的」だと、負けず劣らず辛辣です。



一方、オースティンと同時代の文壇の大御所ウォルター・スコットは、オースティンの死の11年後に次のような讃辞を送っています。

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