「右か左か」 二分法を嫌ったオルテガ

1930年、47歳のときにオルテガは『大衆の反逆』を出版しました。当時はファシズムがヨーロッパに台頭し、オルテガの生まれたスペインでも左右の対立から政治的混乱が拡大した時代でした。オルテガは「リベラルな共和政」を唱え、政治結社「共和国奉仕集団」を結成、政治の世界に身を投じます。しかし、その先に待ち受けていたのは、“大衆の反逆”でした。評論家で東京工業大学教授の中島岳志(なかじま・たけし)さんが解説します。




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オルテガは、右か左かという二分法を嫌いました。「これが正しい」と、一方的に自分の信ずるイデオロギーを掲げて拳を上げるような人間が、嫌で仕方がなかったのだと思います。そうではなく、右と左の間に立ち、引き裂かれながらでも合意形成をしていくことが、彼の思い描いた「リベラルな共和政」でした。しかし、スペインでそれは不可能と考えた彼は、32年8月に代議士を辞職してしまいます。



その後、36年2月の総選挙で左翼勢力が圧勝して人民戦線内閣が成立すると、左右の対立は決定的なものになっていきます。左派と右派の両方を批判する言論を発表し続けていたオルテガは、双方から激しいバッシングを受けることになりました。



そして同年7月には、フランコ将軍ら右翼的な軍首脳部の指示を受けた正規軍が各地の主要都市で軍事反乱を起こし、これが導火線となって、スペインを二分しての内戦が開始されます。

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