『道草』で漱石が描いたおどろおどろしい「私生活」

第3回で取り上げる『道草』は、1915(大正4)年の作品です。漱石は、翌16年に『明暗』を連載中に急死するので、この『道草』は最後の完成作となります。



作品ごとに新しい試みを見せる漱石ですが、『道草』にもこれまでにない要素があります。それは「私生活」です。東京大学教授の阿部公彦(あべ・まさひこ)さんが冒頭部を引きながら解説します。




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当時の文壇ではフランスの作家エミール・ゾラの影響を受けた「自然主義」が力を持っていました。ゾラは観察に基づいた客観的描写の重要性をとなえた人。ところが日本に入ってきた自然主義は独自の色を持つようになります。次第に客観性より、事実を隠さずにそのまま書く暴露性が優先されるようになり、その「事実」も嫌なこと、醜いことが多くなってきます。私小説作家の作品によく見られる私生活の赤裸々な活写は、こうした流れの延長上にあります。



漱石はそんな風潮から距離をとっていました。その作品はとても事実そのままとは言えない。謎もあればサスペンスもある。幻想も妄想もある。そんなスタンスに対し、自然主義陣営は批判的でした。第1回で、漱石が「読者を面白がらせなければならぬと云ふ職業意識」で作品の質を落としているという正宗白鳥のコメントを紹介しましたが、彼は自然主義陣営の大御所でした。

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