曖昧さを好んだドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』に埋め込んだ時代性

徹底して曖昧さを好んだ作家ドストエフスキー。代表作のひとつ『カラマーゾフの兄弟』は、だからと言って時代や歴史と完全に切り離された作品ではありません。ロシア文学者で名古屋外国語大学学長の亀山郁夫(かめやま・いくお)さんが、同作の時代背景を語ります。




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『カラマーゾフの兄弟』の歴史的な背景についても述べておきましょう。そもそもこの物語は、いつ、どこを舞台にして生まれたのか。



ドストエフスキーは、小説のなかで具体的な年号に触れたり、歴史的事実をそのまま描いたりすることを徹底して嫌う作家です。土地の名前を明かすことさえ、 嫌う場合が少なくありません。たとえば、『戦争と平和』の作者であるレフ・トルストイとはその点でまったく資質を異にしています。歴史的事実を視野にとらえながら、具体的な背景は徹底してぼかし、人間そのものの描写に焦点を当てる、それがドストエフスキーの手法です。ドストエフスキーは同時に、たんに歴史的事実だけでなく、登場人物の行動の核心部と心理の間に横たわる部分も意図的にカムフラージュすることが少なくありません。これはおそらく、検閲を常に意識しながら書かざるを得なかったドストエフスキーの宿命であると同時に戦略でもありました。

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