稀代の名君・李世民即位のいきさつ

李世民はまだ20歳を過ぎたばかりの若者だったのですが、李淵に挙兵を勧め、自ら軍隊を率いて敵対勢力を平定し、建国間もない唐を軌道に乗せる重要な役割を果たしました。



しかし、そんな李世民の活躍を快く思わない人もいました。それが、李淵の長男、李建成(りけんせい)です。皇太子の地位も弟によって奪われかねないと危惧した李建成は、四男の李元吉(りげんきつ)と図って、次男である李世民の殺害を計画します。その動きを察知した李世民は先手を打ちました。臣下らと謀り、兄と弟を殺害したのです。この事件は「玄武門(げんぶもん)の変」と呼ばれています。玄武門の変のあと、李世民は父の李淵を軟禁して実権を掌握。29歳にして第二代皇帝に即位しました。



李世民が皇帝となった背景には、実はこのような血なまぐさいドラマがあったのです。兄弟を殺して実力で帝位を奪い取った。このとてつもない汚名を返上するには、いったいどうすればいいのか。李世民が出した答えは、「優れた皇帝になること」でした。ひたすら正しい政治を行い、部下の言うことを聞いて、人民のために尽くし、贅沢をせず、業績をたくさん残してみんなに認めてもらうしかない。そう考えたのです。



李世民がこのように考えることができたのは、ひとつには彼自身が賢い人だったからです。

関連記事(外部サイト)