稀代の名君・李世民即位のいきさつ

加えて、そこには「易姓(えきせい)革命」という中国ならではのロジックがありました。易姓革命とは、王朝の交代について孟子(もうし)の考えに裏付けられた思想で、徳を失った王朝が天から見放され(天命が革〈あらた〉まる)、王家の姓が易(か)わる(変わる)という理論です。天は君主に人民を統治させていますが、その様子をいつもチェックしていて、悪政が行われていれば天災を起こして君主に警告を発し、それが無視されると、今度は人民に反乱を起こさせて、新しい王朝に取って代わらせるのです。



この考え方に従えば、滅んだ王朝の最後の君主は悪政を行った人、ということになりますね。実際に、隋の最後の皇帝である煬帝(ようだい)は、中国史を代表する暴君とされています。もちろんこのロジックには、現王朝の正統性を担保するために都合のいい考え方だという側面もあります。煬帝が本当にそこまでの悪政を行ったのかどうかは、評価が分かれるところです。



いずれにせよ、易姓革命と煬帝の存在は、李世民に大きく影響したと考えられます。というのも、煬帝と李世民は即位の事情が似ているからです。ともに次男で皇太子ではなく、肉親を殺したのちに帝位に就いている。おそらく李世民は次のように考えたのでしょう。煬帝は暴君ということになっているが、実は自分と似ている。ということは、人々の中には自分を悪く思っている人もいるだろう。

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