終戦の歴史に埋もれた2通の降伏文書

<太平洋戦争が公式に終結した1945年9月2日――米戦艦ミズーリ号上で日本の敗戦を印象付ける「事件」が起きていた>

日本は1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾したことを天皇が玉音放送で公表した日をもって「終戦記念日」とした。ところがアメリカでは、8月15はなく9月2日を「VJデー」(対日戦勝利の日)と定めて長年祝い続けた。1945年9月2日とは何の日かといえば、東京湾に浮かぶ米戦艦「ミズーリ」号の艦上で日本と連合国が「降伏文書」に調印して停戦協定を結び、日本が公式に無条件降伏した日なのである。

このとき調印された「降伏文書」は2通ある。1通はアメリカが所有し、もう1通は日本が所有した。現在はワシントンの国立公文書館と東京・麻布台にある外交史料館にそれぞれ保管されている。

ところが、この2通の降伏文書を見比べてみると、明らかな違いがある。アメリカが保管している降伏文書は調印者の名前が整然と並んだ見栄えの良いものだが、日本に保管されている降伏文書は書き損じが多く、訂正箇所も多々あり、まことに乱雑な印象を受ける。こんな乱雑なものが公文書として認められるものだろうか。

同一文書であるはずの2通の公文書が、一方は乱雑で一方は整然としているという事態がなぜ生じたのか。この歴史的事実が注目されることは、これまでほとんどなかった。

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