中国の「監視社会化」を考える(3)──市民社会とテクノロジー

<倫理学の有名な思考実験に、一人の命を犠牲にすれば5人の命が救える場合はどうするか、という問いがある。直感的な道徳感情と合理的な判断に基づく功利主義とのジレンマだ。中国のような全体主義の新興国やAIのような合理マシンの台頭は、市民社会をどう変えかねないのか>

第3回:「道具的合理性」に基づく統治をどう制御するか

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*第1回: 現代中国と「市民社会」
*第2回: テクノロジーが変える中国社会

功利主義と監視社会

中国社会といえば、アグレッシブで、決まりがあってもみんな守らないで自分の解釈で行動する、そんな「民間」のエネルギーにあふれている社会だ、というイメージがあったのが、統治のための様々なテクノロジーや、「向社会的行動」に対する動機付けを提供する信用スコアなどのレイティングシステムの浸透によって、特に大都市では「行儀がよくて予測可能な社会」になりつつあるのではないか──前回の連載で、以上のようなことを述べました。

もちろん、こうした現状認識への異論もありうるでしょう。ですが、ここでは上記のような中国社会の変化が実際に起きていることを認めたうえで、そういった「(広い意味での)監視を通じた社会秩序の実現」という現象について、その意味を考えてみたいと思います。

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