毛沢東の孫、党大会代表落選――毛沢東思想から習近平思想への転換

毛沢東の孫の毛新宇が第19会党大会代表に落選した。毛沢東は生前、一度もこの孫に会おうとしなかった。毛新宇が落選した背景には彼個人の問題と毛沢東思想から習近平思想への転換を図る戦略と逡巡が潜んでいる。

毛沢東に冷遇された毛新宇の父親

毛沢東(1893年−1976年)の孫、毛新宇は1970年、北京で生まれた。父親は毛沢東の次男、毛岸青(1923年−2007年)。毛沢東の長男、毛岸英(1922年−1950年)は朝鮮戦争が始まった1950年の11月に戦死した。二人の息子とも最初の妻、楊開慧(ようかいけい)(1901年ー1930年)と毛沢東との間に生まれた子だ。二人の間には三男の毛岸龍もいた。

蒋介石率いる国民党軍が共産党軍の掃討作戦をしている中で、1930年、子供3人を連れて毛沢東と離れ離れにいた楊開慧は国民党軍に逮捕された。国民党軍から「毛沢東と離婚し、毛沢東に対する非難声明を出せば助けてやる」と脅迫されたのだが、楊開慧はそれを拒否して銃殺されてしまう。

だというのに、毛沢東は井崗山(せいこうざん、ジーン・ガン・サン)に立てこもり、賀子珍という別の女性を愛していた(『毛沢東 日本軍と共謀した男』p.158)。

このとき毛岸英は8歳、毛岸青は7歳で、子供たちは3人とも釈放されたが、一番下の子はまもなく死亡。毛岸英と毛岸青は毛沢東の部下の手配により上海に送られて転々と流浪の生活を送る。

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