平成の日本:「新しい不平等」の受け入れと、無関心の仮面の下に見たもの

私たちはバブル末期の狂乱と、平成と呼ばれた日本の変革の時代を記録した。

1993年には、皇太子と現在の雅子妃の婚約に関する私のコラムが日本の読者をいら立たせた。輝かしいキャリアを捨てて困難な環境に飛び込むことは、彼女にとって厳しい選択だっただろうと、当たり前のことを書いたのだが。

編集部の電話が鳴り続け、コスモポリタン誌が私にインタビューをした。周りの男性が真実の愛だと主張する一方、女性は未来の皇太子妃に同情した。ネットの掲示板で私は一足先にソーシャルメディアの洗礼を受け、後に2ちゃんねるで「極左ババア」と炎上も経験することになる。

平成は、世界に対する日本のイメージをリセットした時代だ。日本経済の猛烈な勢いが止まり、一億総中流という昭和の神話が崩壊した。昭和の終わりにディスコが流行したが、平成のお立ち台の主役は貪欲さだ。平成では貪欲さは美徳とされ、ホリエモンがロールモデルになった。

平均的な労働者とトップエグゼクティブの貧富の差は、欧米並みに広がった。本誌は2006年3月に格差社会の特集を組み、私にとって最も印象深い仕事の1つとなった。

平成の幕が下りようとしている今、誰もが「新しい不平等」を当たり前に受け入れているようだ。引きこもりやパワハラなど、二極化の時代に私が書いてきたさまざまなテーマも、今ではどこにでもある現実だ。

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