天皇退位の顛末にみる日本の旧思想 伊藤博文は『皇太子に生まれるのは不運』と発言

記事まとめ

  • 天皇陛下が伊勢神宮に参拝して退位を報告、長女の黒田清子さんが祭主として立ち合った
  • 祭主は明治8年に久邇宮朝彦親王が就任して以来、皇族がその任にあたった
  • 戦後、男性の皇族を祭主にしようとしたがGHQが拒否、女子の祭主を提案されたという

天皇退位の顛末にみる日本の旧思想

祭主問題がバンスの示唆で解決の途を開いたのは興味あることであった」と書いている。(「大東亜戦争戦中戦後の神宮」『神宮明治百年史』神宮文庫所収)

GHQバンス宗教課長の一声

結局、明治天皇の娘である北白川宮房子大妃が祭主になった。資金難もあって式年遷宮は4年延期されて昭和28(1953)年に行われたが、その時には、房子さまは既に皇籍離脱していた。それ以来皇女の旧皇族が祭主となっているわけである。

バンス宗教課長が「昔に戻って」というのは、昔祭主が女子だったと誤解していたわけではなく、そもそも天照大御神が女神であることをさしている。ときには、外国の人の方が、日本のことをわかっていることもある。また、伊勢神宮側も男子皇族でなければならないという思考停止に陥らなくてよかった。それに皇女が祭主になることでほんのり古代の斎宮の香りも漂うようになった。

この機会に、いつくか外国人の観察をみてみたい。

100年あまり前、明治33(1900年)年五月九日御雇外国人の医師ベルツ博士は、皇太子嘉仁親王の御成婚の前日に次のように記している。

「一昨日、有栖川宮邸で東宮成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく『皇太子に生まれるのは、まったく不運なことだ。

関連記事(外部サイト)