高校生「オナラ防止パンツ」開発の背景にある、日本の学校の悲壮な現実

大便が禁じられている中では、「オナラ」に対しても強い禁忌の意識があるのは当然であり、切実な問題として受け止めなくてはなりません。

ということは、この3人の若者のプロジェクトは、ユーモアを中心とした科学実験ではなく、どうやら真剣なニーズに基づいたものとして進められている、そう考えることができます。

そうであれば、話は別です。話の前提が悲壮に過ぎるからです。

人間は、非常に未熟なうちに生まれるので、排泄という生存に必要な行為について順番に学んでいきます。最初は、親の介助を得て行い、やがて自立するという順番です。

自立には3つの意味合いがあります。1つは、親の介助がなくても物理的に排泄ができるということです。2つ目は、排泄に関する禁忌を理解する、つまり排泄物は不衛生だとか、不快だという前提で排泄行為と排泄物の処理を社会的に認められた規範の中で行うということです。3つ目は、排泄にまつわる不快感を前提としつつ、不快感を抑えて排泄する他者について許容したり、言及を控えて配慮を示したりするということです。

この3つができて初めて、人間は排泄において自立することになります。これは生存という意味でも、集団に適応する社会的なスキル獲得という意味でも、重要な訓練になり、親や社会はその訓練を重要視するのが通常です。

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