高校生「オナラ防止パンツ」開発の背景にある、日本の学校の悲壮な現実





ところが、日本の社会では、ある世代から下では学齢期に達しても、このうちの3点目の自立ということが成立していません。特に大便について「本能的には不快である他人の排泄」への許容や配慮ができないのです。

別に、発達が遅れているわけではありません。やろうと思えばできるのです。ですが、非常に特殊な価値観が蔓延しているために、できなくなっているのです。それは、「他人の排泄は不快だという本能的な反応を、あえて抑えないことで、自他の動物的な反応を見る」という不思議なカルチャーが定着しているということです。

小学生が、休み時間に大便をしたとします。これは確かに他人にとっては不快かもしれませんが、その本人にとっては切実な生理現象ですから、周囲は理解を示し、あえて言及しないなどの対応をするのが「排泄の自立」スキルの1つとして必要です。ですが、そのスキルを「あえて行使しない」というのが現在の子供たち、特に男の子たちの世界に起きているわけです。

原因としては、そのような「善意による本能の抑圧」というのが一種の偽善だというような大人社会からの悪影響がまず考えられます。その上で大便をした、あるいは隠れて「オナラ」をしたらしいクラスメイトに対して、配慮や善意の無視ではなく、「子供っぽい、そして残酷で動物的な」批判の視線を投げてみる、そこで本人が高度なお笑い芸人のような「いじられコミュ力」を発揮して切り返すか、できずに逃げるか、弾圧に屈するかを見ているのが「面白い」という話になるわけです。

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