明治時代の日本では9割近くが兵役を免れた──日本における徴兵制(2)

多くの研究者が指摘するように、気性が荒くプライドが高い士族兵の統制が著しく困難だったことも背景にはあるだろう。志願兵制を採った場合、応募者の大半が士族であることは、容易に想像できた。

だが、実際に徴集される民衆から見れば、徴兵制は単純に迷惑な制度である。徴兵制は「強迫兵制」「強迫法」とも呼ばれた。これは義務教育が「強迫教育」と呼ばれていたことに似ている。そして徴兵制と義務教育は、地租改正とともに民衆の激しい拒絶反応を引き起こし、血税一揆などとよばれる暴動の原因ともなった。

抵抗の大小はともかく、民衆の拒絶は予期されていたことに違いない。政府は徴兵令制定に先立って、制度を正当化する論理を用意していた。それらは、徴兵の詔みことのり、さらには趣旨説明書である徴兵告諭という文書に記されている。

徴兵の詔と徴兵告諭は、第一に、原則として成人男子がなんらかの兵役に服する形態こそが日本本来の兵制なのだ、という擬制を前面に出した。明治維新は「王政復古」であり、明治四年の廃藩置県は江戸の封建制の崩壊と古代の郡県制への回帰を意味する。兵制もまた「上古ノ制」に回帰するのが当然なのだ。そういう理屈である。

主たる根拠は律令兵制であった。たとえば養老律令は、一戸の正丁(二一歳〜六○歳の男子)三人につき一人を徴集すると定めている。

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