明治時代の日本では9割近くが兵役を免れた──日本における徴兵制(2)

明治憲法の公式注釈書といわれる伊藤博文の『憲法義解』(明治二二年)が兵役義務条項の具体的根拠として選んだのも、古代の律令兵制であった。ただし、この歴史的遡及はしばしば神武天皇の事績にまで延伸された。



第二の理屈は次のようなものである。明治維新は、軍事を独占的に担当していた武士階級の解体をもたらした。兵農分離状態が解消されたので、今後は武士以外の国民も軍事を担わなくてはならない。そこに、ヨーロッパの市民革命像が重ねられる。徴兵告諭は「世襲坐食ノ士ハ其禄ヲ減ジ刀剣ヲ脱スルヲ許シ、四民漸ク自由ノ権ヲ得セシメントス。是レ上下ヲ平均シ人権ヲ斉一ニスル道ニシテ、則チ兵農ヲ合一ニスル基ナリ」と説く。維新によってすべての国民が自由を得て、平等に人権を得た。これは同時に、すべての国民に国を守る義務が発生したことを意味する。

思想史家の宮村治雄は、かつて徴兵告諭を維新の「人権宣言」に位置づけた。そして、被差別部落民を「平民同様」とした明治四年の「解放令」にすら見られなかった自由、人権という言葉が、国民徴発宣言である徴兵令の制定に際して使われたことに、歴史の皮肉を見出した(『新訂 日本政治思想史』)。

兵役義務と徴集の間

徴兵告諭は、すべての成年男子に兵役を担う義務があることを説いた。「国民皆兵」「挙国皆兵」「全国(皆)兵」といった言葉は、そのことを表現するスローガンとして流布していった。

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