明治時代の日本では9割近くが兵役を免れた──日本における徴兵制(2)



だが、政府あるいは軍の側から見れば、徴兵制をめぐる問題は、いかに優良な下士官や兵を必要な数だけ調達するか、どの程度の予算を用意できるか、そして軍隊建設の際に生じる抵抗をいかに少なくするかという問題に結局のところ収斂する。

国民皆兵という言葉はさかんに使われるものの、徴兵令そのものは長らくザル法でしかなかった。成人男子を徴集することはどうしても「イエ」の存続と抵触するため、戸主と嗣子などは免役とされた。近代国家建設のために必要な人材を奪われては困るので、官員や学生も免役である。加えて、代人料(免役料)二七〇円の納付によっても免役となった。

現実の徴兵制は、国民皆兵どころではない不平等な制度だったのである。免役対象にならない次男以下は、分家や養子縁組、絶家再興、女戸主への入婿などの手段で戸主や嗣子になろうと狂奔した。その結果、明治一二年には二〇歳男子人口三二万一五九四人中、九〇%近い二八万七二二九人が免役該当となる。事由の約九六%が戸主・嗣子などの名義によるものだった。二〇歳男子の大半が一家の主人かその跡継ぎになったのである。実際に三年間の兵役を負担する者は「養子となることのできない貧農の二・三男」(藤村道生)が中心であった。



政府は徴兵令制定以降、法改正を通して分家や養子縁組を防ぐ対症療法を続けたが、戸籍操作による兵役逃れは、昭和以前の最後の徴兵令大改正といわれる明治二二年の改正が「廃疾」「不具」を除き免役・猶予条項を全廃し、徴集延期を家族の生計が維持できない場合などに限定するまで続いた。

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