明治時代の日本では9割近くが兵役を免れた──日本における徴兵制(2)

現実に老人や子供、検査不合格者は兵役を免れており、徴兵令そのものがザル法であった。そのことを明示して「血税」におびえる国民を安心させようとしたのである。

ところが、この修正案は賛成九反対一〇の一票差で葬り去られてしまう。有力な反対意見は、河野敏鎌、柳原前光らによって唱えられた。それは「護国ノ義務」は憲法制定によってはじめて定まるので、憲法がない状態で徴兵令にそれを明記するのは不適当、というものである。

この場合の憲法とは、当時元老院が天皇から命じられて起草した憲法草案がイメージされている。元老院憲法草案には、国民から選ばれた「代議士院」の存在が明記されており、天皇と立法権を分有し、ともに憲法を遵守する約を結ぶ機関として位置づけられていた。ということは、元老院の河野や柳原にとって、憲法上の兵役義務は、国民から選ばれた「代議士院」があってはじめて具体化するということになる。当時の元老院には民権派系の書記官も在籍しており、河野、柳原は民権派に近い議官と目されていた。

このことは、立志社建白以来、民権派のなかにあった立憲政体と徴兵制、もしくは参政権と兵役義務の不可分性という問題意識を、現実の憲法起草や徴兵令改正に反映させようとする動きが微弱ながら存在していたことを意味する。



「代議士院」による憲法遵守の約を重視した元老院憲法草案は、いくつかの修正を経て、最終的に政権中枢によって却下された。

関連記事(外部サイト)