韓国政府が無視していた慰安婦問題を顕在化させたのは「記憶の活動家」たち

韓国政府は初め、慰安婦問題を無視しようとした、という話が先ほど出ていましたね。慰安婦が人々の共通の記憶に入ってくる前の1990年代初めにさかのぼってみましょう。慰安婦を「問題化」しようとしていたのは、日本政府や韓国政府だったでしょうか。

コウヘイ メディアでしょうか。新聞とか?

グラック教授 メディアは、起きたことを積極的に報じてはいました。では、報じられるような行動に出ていたのは誰だったでしょうか。

スコット 利益団体ですか?

グラック教授 そうです。そういったグループを何と呼んでいましたか?

数人 「記憶の活動家」

グラック教授 そのとおり。民間の領域に属する、いい意味での、記憶の活動家ですね。特に1991年に元慰安婦3人が訴訟を起こした後に運動が活発化して、慰安婦が「問題」化したのです。慰安婦問題を顕在化させようとしたのはどのような人たちでしたか。

ダイスケ 人権活動家ですか。

グラック教授 人権活動家もそうですね。ほかには?

トム フェミニスト?

グラック教授 はい。第二波フェミニズムではなく、その後である1990年代のフェミニズムです。1995年に北京で国連主催の第4回世界女性会議が開かれ、有名なスピーチで「人権とは女性の権利であり、女性の権利とは人権なのです」と語られたように、この頃には人権としての女性の権利がさまざまな枠組みで大きく取り上げられるようになっていました。

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