カシミールを襲うインドの植民地主義

2014年の洪水のときは、インドが救助費用をカシミールに請求した。2010年に起きた蜂起は「パキスタンが支援するテロ」としか見なされなかった。

1990年代には拷問や集団レイプが起き、1980年代後半には信仰による差別があった。全ては1947年の印パ戦争の際に、カシミールの帰属を決める住民投票が実施されなかったことが原因だ。

イギリスが1846年のアムリトサル条約によって創設したジャンムー・カシミール藩王国に同地方の住民と領土を売り渡した頃の植民地政策が、今も続いているという解釈もできる。カシミールに関する論調には既得権益という地雷がちりばめられ、政治的に正しい歴史はごく一部しか伝えられていない。

こうした見方を支持しない人もいるかもしれない。だが1947年8月にインドとパキスタンが分離独立したとき、カシミールはどちらにも属していなかった。これは否定できない事実であり、同時に問題の根源でもある。

当時のカシミールは、民族と宗教が複雑に絡み合う分断状態だった。インドとパキスタンはまずこの地方を占領し、そして分割した。以後、両国はカシミールにそれぞれのナショナリズムを押し付け、基本的人権まで否定してきた。

いわば合憲のクーデター

国際社会はカシミールへの視点を改めるべきだ。

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