米軍がイラン旅客機を撃ち落とした1988年の夏



撃墜事件当時に米軍制服組トップの統合参謀本部議長だったウィリアム・クロウは、1992年7月の下院公聴会で隠蔽説を否定。本誌とABCを強く批判した。「ABCとニューズウィークの報道の最も非難すべき点は、ごくわずかの、しばしば誤っている情報を基に、大げさな言葉で批判を展開していることだ」

ビンセンズがイラン領海に入ったことにも問題はないと、クロウは主張した。「自衛の必要に迫られた軍用艦艇が攻撃者の国の領海に入ることは、国際法上も認められている」

1992年にこの報道が話題になったのを最後に、イラン航空655便撃墜事件は、アメリカではほとんど忘れられていた。しかし、イランの人々の間で悲劇の記憶は薄れていない。アクバリの言葉を借りれば、それは「イラン・イラク戦争の暗い時代の悲しい記憶」でもある。



テヘランの旧米大使館を囲む壁に描かれた反米プロパガンダ ERIC LAFFORGUE-GAMMA-RAPHO/GETTY IMAGES


イラン・イラク戦争時、アメリカ、ソ連、フランス、イギリスといった大国はことごとく、サダム・フセイン大統領率いるイラクが隣国のイランに侵攻することを支持した。撃墜事故当時は、1979年にイラン革命で王政が倒されてイスラム国家が樹立されてからまだ10年足らず。

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