イスラム教のイードアルアドハーを「犠牲祭」と呼ばないで

互いを思いやることこそがイスラムなのです」

一生懸命に話す、彼らの言葉に胸が打たれた。形式だけが残る祭りもあるけれど、イードアルアドハーの精神は今でも人々の心に息づいている。食べ物を貧しい人とも分かち合い、共に生きていることを再確認できるのだ。私はそのことに感銘を覚えた。イスラムが大切にするこの精神を市場に立ってかみしめながら、私は久しぶりのイードアルアドハーを思いきり楽しんだ。この原稿を書いていても、その時の楽しかったイードアルアドハーの雰囲気や、街の人たちの話す声、ジュージュー焼いた羊の香ばしい匂いを思い出して、真夜中なのに何だか遊びにでも出掛けたくなってしまった。

「外国人に、イードアルアドハーなんて理解できないだろう」と決め付けているアラブ人も少なくない。だからこのような先入観を覆すような発言や行動をすると、それだけでアラブ人のハートをつかめる。

例えば、さりげなくアラビア語で「イード・ムバーラク」と挨拶してみよう。これは「祝福された祭りを」の意で、この種の祭りのときによく交わし合う決まりのあいさつ言葉。その返事も、「イード・ムバーラク」と返される。

次のような内容のコメントも好印象だ。「助け合うのは本当に素晴らしいことですね」「イードアルアドハーでは具体的な行動で人々がつながることの大切さを、改めて感じますね」



注意したほうがいいこともある。

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