応仁の乱の前には「観応の擾乱」があった

応仁の乱の前には「観応の擾乱」があった

『観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』亀田俊和著 中央公論新社

南北朝時代の「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」。室町幕府の内紛のことだが、その実態は奇怪で複雑なことで知られている。中公新書の『観応の擾乱』(亀田俊和著)は、この史実をわかりやすく1冊にまとめたものだ。中公新書では同じ狙いの歴史解説書『応仁の乱』(呉座勇一著)が大ヒット中。現在2冊は事実上のシリーズとして書店に並んでいる。いまなぜか注目が集まっている「奇怪な内乱」の概要を、抜粋して紹介しよう――。※以下は亀田俊和『観応の擾乱』(中公新書)の「終章 観応の擾乱とは何だったのか?」からの抜粋です。

■「応仁の乱」よりダイナミック

ここまで観応の擾乱(かんのうのじょうらん)を中心に、その前後の戦乱の様相をできる限り詳しく紹介してきた。改めて見て、実に奇怪な内乱である。

四条畷の戦いで難敵楠木正行(くすのきまさつら)に勝利し、室町幕府の覇権確立に絶大な貢献を果たした執事高師直(こうのもろなお)が、わずか1年半後に執事を罷免されて失脚する。だがその直後に数万騎の軍勢を率いて主君の将軍足利尊氏邸を包囲し、逆に政敵の三条殿足利直義(あしかがただよし)を引退に追い込む。

ところがその1年あまり後に、直義が宿敵の南朝と手を結ぶという奇策に出る。今度は尊氏―師直を裏切って直義に寝返る武将が続出し、尊氏軍は敗北して高一族は誅殺される。

だがそのわずか5ヵ月後には何もしていないのに直義が失脚して北陸から関東へ没落し、今度は直義に造反して尊氏に帰参する武将が相次いで、尊氏が勝利する。

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