26歳の若者が見たドヤ街・西成…筑波大学卒業後、就職できず無職に

まわりの友人が社会人として働き始めている中、自分に突きつけられた現実は、“無職”である。だが、ライターの端くれとして「1か月間、西成に住めば本を書けるかもしれない」という思いもあった。結局、予定を大きく変更し、78日間も滞在することになってしまったが……。

 土工として飯場(住み込みの寮)に入った國友氏。そこに同年代の若者はいたのか。

「実際に西成で働くようになって、150人ぐらいいる同じ飯場では同年代の若者は10人ぐらいでした。しかし、私のような人間(※オタクっぽい雰囲気という理由で、まわりから“萌”と呼ばれていた)はいなくて。元ヤクザとかワケありっぽい人ばかり……。でも、そんなに悲観している様子はなくて、明るく生き生きとしていました。そこで更生しようとしているんだなって。私は土木未経験だったのですが、若ければ若いという理由だけで働き口はいくらでもありました。やっぱり、高齢者が多いので。ただ、飯場ではたとえ60代後半の老人でも、生活保護は受けようとせず、『俺は自分の力で生きていく』と力強く話していました」

 飯場で精力的に働く人たちがいる一方で、ドヤにとどまり続けている人もいる。

「ドヤに5年間も引きこもっている若者もいました。特に『昔は悪かった』とか『クスリに手を出して』というタイプにも見えなくて。

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