広岡達朗89歳が語る、“打撃の神様”川上哲治と決定的に決裂した日

広岡達朗89歳が語る、“打撃の神様”川上哲治と決定的に決裂した日

’64年、まさにホームスチール激怒事件が発生した年のオフに広岡(左)と川上(右)の肩に手を置く正力亨オーナー

大男たちが一投一打に命を懸けるグラウンド。選手、そして見守るファンを一喜一憂させる白球の行方――。そんな華々しきプロ野球の世界の裏側では、いつの時代も信念と信念がぶつかり合う瞬間があった。あの確執の真相とは? あの行動の真意とは?68年にわたりプロ野球に携わってきた重鎮、広岡達朗の確執と信念をひもとく。

◆信念を貫く広岡の引退を引き留めた“昭和の大物”の存在

 68年もの間、日本プロ野球に内外から携わり続けた広岡達朗。監督時代に指導した幾多の選手からのちの監督経験者を14人も輩出し、誰よりも球界に“人”を残した男でもある。そんな広岡と“打撃の神様”と呼ばれた川上哲治との確執を、広岡本人の証言からひもといていきたい。

「カワさん(川上哲治)には、入団から引退までずっと虐げられ続けた。もし水原(茂)さんがずっと監督を務めていたら、何度も3割を打ってるよ!」

 冗談めかして話す89歳の広岡だが、内心本気ではないかと感じさせるほど巨人時代に壮絶な闘いを強いられた。二人の確執の要因は、野球観の相違というより人間性が相容れなかったように思える。

 ’54年(昭和29年)、広岡は鳴り物入りで早稲田から巨人に入団。その頃の巨人軍はリーグ3連覇中で、監督に名将と呼ばれた水原茂、そしてチームの大黒柱としてプロ入り14年目の4番打者・川上哲治が君臨していた。

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